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儚きこと

 ハナミズキ1

「綺麗なハナミズキじゃなぁ。」

「凄い綺麗やね。 ハナミズキって好きな花木なんよなぁ。」と、私が返す。

義母も好きな花木だと呟いていた。


そう言いながら この花木の前で、写真を撮ったのが、
昨年5月3日。

           ハナミズキ2

青空に浮かぶ白い雲が、静かに流れる、柔らかい日差しの中。



今年1月24日、私達の結婚記念日の日に、
徳島の義父から お義母さんの体調が悪いのだと連絡が入った。

「吐いて吐いて、なにも食べられんのぞ。」

それから ほどなくして、入院となり、開腹手術をすることに。

【よくもって一年】 一番最初の答えは、そうだったのに、
入院してすぐに【あと3ヶ月】。。。
それから開腹したことで【余命1ヶ月】という宣告が。

それ以来、毎週末には、主人はフェリーに乗り込み、
徳島へと向かい、病室に泊まり込んで過ごすことになった。
普段は、お義父さんとお義姉さんが交代で、看病していたから
遠くながらでも たとえ週に二日でも代わりになれること、
それだけが、せめてもの務めだと感じ乍ら。

上の娘は、仕事休みの日は、日帰りで会いに行き、
私と下の娘も何度か、日帰りで会いに行った。

それが、雪化粧をした眉山との対面だった。


2月26日、この日もまた、日帰りで、娘とフェリーに揺られ
徳島へと。
不調を訴えてからは、もう1ヶ月が経とうとしている頃。
顔をみるのも不安が募る時期にきていただろうか。


転院して、個室のベッドに横たわっていた義母は、
約半月ほど前に会ったときとは、変貌を遂げていた。。
…というか、ほぼ意識があるのかないのか、
判らないような状態だったから。

病室に入ってすぐに お義姉さんが、
「おばあちゃん、○○さんと○○ちゃんが来てくれようで。」と
大きな声で言ってくれると、
少しだけ目を見開いた風で、「うんうん。。」と
首を縦に振ってくれていた。

それからも ほぼ眠るのみで、
私達は、話しかけるということもなく、ただただベッドの横に
佇んでいるだけで、帰りのフェリーまでの時間を過ごすことに。
11時に着いて、15時には帰途に着いたのだから、
本当に、せめてもの再会だった。

帰り際、泊まり込んでいる主人が、私達が帰るということを
眠っていた義母に伝えてくれると、
少しまた目を見開いて、口をもぐもぐさせるようにして、
「んんん、んんん。。。」 と、何かを言っているようだった。

でも 何かを伝えようと訴えていたのか、
またそれが、何を言っていたのか、全く理解らなくて、
とても歯痒かった。

でも多分。
「○○さん、○ちゃん(息子)のことを頼んどくけんな。」
そういうことを伝えたかったのかなぁ、と捉えるしかなかった。

きっとそうだろうね、きっと。
最期の最期に伝えたいことは、それしかないさ。

さださんの『ママの一番長い日~美しい朝~』という楽曲に
「生命はこうして大切な人に 手渡されてゆくものだと気づいたから」
という歌詞が浮かんだ。

夜に帰宅してすぐに、留守番をしてくれていた(わんこのお世話のため)
上の娘に様子を伝え、直ぐにでも駆けつけるように勧め、
その夜中に娘にフェリーに乗るようにさせた。

夜中に着いた頃には、ほぼ意識はなかったようで、孫が来たことを
理解ってくれたかどうか定かではないけれど、
次の日の朝、息を引き取ったのだと連絡が入る。
最期を看取ったのは、義兄と義姉でした。
その瞬間、おじいちゃんが居なくてよかった、そう話していました。
その場に居たら、おじいちゃんはどうなっていたかわからないからと。

その時刻が、上の娘と入れ替わりに徳島からこちらへ向けて
帰途に着いた主人が乗ったフェリーの出港時刻だったことには、
無常を感じたよ。

港のすぐ近くの病院だったのだから もう少し早ければ、
主人も引き返せてたのに。 船が出てしまったなら
引き返すことなんて出来へんかった、、、と呟いた。


後姿高野山での母と息子の後姿。去年の春。

一ヶ月後に、まさか自分が、最期を迎えることなど、
誰しも想像なんかしないだろう。

一ヶ月間、食べることも出来ず、点滴だけで過ごし、
少しずつやつれてゆく姿、話すこともおぼつかなくなる様子…
それでも 懸命に生きようとする姿。。

唯一の救いは、痛みを伴わなかったこと。
周りの人は、こんなにも早い最期を迎えたことを
「本人が優しい人やったから。」 だから、周りに迷惑をかけることなく
旅立ったのだろうね、と話してくれた。

生命に限りを告げられて、の一ヶ月なんて、
そんなね、何にも出来ないね。 なんて儚きこと。


最後に見舞って、翌日に亡くなったから、
また27日の夕方には、フェリーに乗り込む。
今回は、たろまろも連れてのことになるので、
移動や世話も大変だった。 
でも家族だからね、一緒に送ってあげたいね、たろまろ!

おばあちゃんが、星屑になった、その日。
奇しくも太郎の20歳の誕生日だったのだね、3月1日。
生命の不思議を感じた日でした。
冷たい雨の日となりました。



夕日
2月26日。 西の夕日、徳島からの温かなオレンジ色の夕日を
浴びながら 海を走るフェリー。

西に徳島、東に和歌山。
ちょうど、直ぐ北側に淡路島があり、3方にそれぞれが観得る
地点から浴びた夕日。

まるで、お義母さんが、笑顔で挨拶をしているかのような
光景だった。

上の娘は、先月末で、仕事を辞め、
本来ならおばあちゃんの看病とおじいちゃんの元気を取り戻すため
お世話をするのだと、しばらくの間、徳島へ行くのだと
言っていましたが、おばあちゃんは間に合うことがなかったから。

独り残ったおじいちゃんが、とても肩を落としていて、
それを放っておけないので、おじいちゃんのお世話のため、
向こうで生活をすることになりました。
おじいちゃん孝行をすることで、おばあちゃん孝行も
出来るのであれば、ふたりのため、になるからね。




私達に今の人生を与えてくださり、ありがとうございました。
この想いが、どうか届きますように。



人は、生命の散り際になってやっと、
本当の花を咲かせるのだ、と言うなれば、

お義母さんはきっと、ハナミズキのように
太い幹からたくさんの花びらをつけた、
見事に咲き誇った花を咲かせただろう、そんな風に想った。


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ruru nanairo

Author:ruru nanairo
ruruなないろです。
編み物大好きで
シンプル&ナチュラル
~大人可愛い~を
追いかけています。
創り上げた作品や自分に
とっての嬉し愉しいを綴って
ゆけるバショ。
珈琲でも飲みながら
のんびりしていってくださいね。

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